私達がなすべきこと
投稿日: 2014年3月19日,カテゴリー: 障害者総合支援法
またまた間が空いてしまいました。
この間、いくつかの研究会、研修会などに参加して、そして、絡み手などとして出場させていただいて、そして、その後の渾身会(いえ、一般的には懇親会)に参加させていただき、いろいろな方とお話をしました。
まーぶるは、社会福祉という制度の枠組で、事業認可をとり、福祉事業といわれるものを行っています。
制度を使うと言うことは、制度に従わなくてはならない。といわれます。
たしかに、そうです。違法なことはしてはいけません。
しかし、そもそもの制度が十分ではなく、場合によっては制度が人を抑圧するとしたら、制度のおかしさを指摘し、必要であれば(ほとんど必要)制度を変えていく努力をしなければならない。あるいは、制度に頼らない、もう一つのものをつくっていかなくてはならない。
私達がまーぶるを立ち上げようと思ったのは、それまで関わってきた障がいとともにある人たちが社会によって(制度や法律を含め)抑圧されていることへの挑戦であった。
もしかしたら、制度なんて全く使わずにできたら、そのほうが楽かもしれないし、楽しいかもしれない。でも、障がいと共にある人たちが社会の中で、当たり前に暮らすときに、社会のお金を使えないのもおかしな話である。私は、戦争するために税金を払っているつもりは全くない。
みんなが豊かに(経済的にのみではなく)暮らせるために税金を払っている。その税金を使って障がいと共にある人たちの生活が豊かになるべきだ。現実問題、制度による資金がなければ、なかなか難しい。
でも、だからといって、制度の下僕になってはいけない。なぜなら、制度はいつも取りこぼしをうぃ、溢れ落ちる人をつくり出すものであるから(それは制度は線引きをしなくてはならないから、必然である)その下僕になってしまうと「やりやすいとこだけやりますよ」ということにしかならないし、それで済ませてしまうと、それでいいのだ、となってしまい、より豊かな社会はつくれないから。
この間の研修等で共通して言われていたことは、「法や制度からみるのではなく、そこにいる人(利用者といえるのかも)を前にして、私はどうするのか?」をしっかり持って仕事をしなくてはならない。ということであったとおもう。昨年なくなられた、元相楽福祉会理事長の廣瀬明彦さんが、「法や制度がどんなに変わっても、我々がなすべきことはかわらない」と言い続けてお居られた。
法や制度が先にあるのではなく、人がいて、その人に合わせて法や制度が作られるものである。厚労省専門官が自ら、「法制度を作ると言うことは線引きをすると言うことなんです」と言っておられた。
また、DPI事務局長尾上浩二さんは、「実践が制度を作っていくのです。制度があっての実践ではない」とおっしゃってます。尾上さんについてはhttp://www.arsvi.com/w/ok09.htm参照。
私達は線引きされたものに絡め取られて、「制度に則って、役所の言うとおり」仕事をするのではない。実践を積み上げて、制度が不備ならば制度をかえ、制度がなければないところで開拓していかなくてはならないのである。
とはいいつつ、、、法は守らなくてはならないことは勿論否定はしませんがね。 でも!なのです。
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