逼迫する需要
投稿日: 2013年10月12日,カテゴリー: ホームヘルパー
これまでも常にそうだったが、最近さらに、「困ってるんです。何とかなりませんかあ」とのお電話が増えている。
私がこの業界に関わり出して約30年。この間に、国際障害者年があり、社会基礎構造改革があり、措置から契約へとなり、支援費制度ができ、自立支援法があって、総合支援法になった。確かに法律ができたり変わったり、制度 ができてきて、並んだ名前を見たらたくさんできた。30年前とは随分違うと言えるのかもしれない。
世の中の人たちも少しだけ介護とか、障がい者とかという言葉にも慣れてきたかもしれない。
しかし、普通に、生まれたとこで、あるいは、好きなとこで、好きな人たちと共に暮らしたい。という何にも贅沢でもなく、一般的に普通に思われていることが、障がいと共にある人やその家族にはとても贅沢で、高望みのような状態であるということは変わっていない。むしろ、自己責任が声高に言われるようになって、障がいと共にある人や家族が生きていくには十分ではない地域社会の中で暮らすという事を選んだ時点で、介護や医療が不足して死ぬかもしれないことを前提にその生活を自分で選んでいるのだから、介護の穴が空いても自分で何とかしてね。と言われたりすることを思えば、後退しているかもしれない。
少なくとも、2000年以前は国の責任において生命保護は為されなければならないものであったわけだから。(もちろん、その結果が、本人の望まない施設入所であったりして、良しとできるものでなかったりはするが)
それが、社会連帯の名の下に放り投げられたのである。確かに、自分で決められるようになったかもしれないが、情報提供やその意思決定をするための援助までもが放り出されて、例えば、事業所一覧をポイっと渡されて自分で決めてね。 といわれたりする。
何とか自分で事業所一覧とにらめっこしてはしから順番に電話かけて探そうとしても、たいがい、いっぱいです。医療的ケアはしてません。とか、言われてしまう。ようやく見つかった事業所でも、ギリギリの人員でやってたりするから、何かで職員がぬけることになると穴が空く。
第1種社会福祉事業は入所施設とかであるが、穴が空くとそこで生活してる人たちが困ることになるから。ということで事業者に対しての縛りと同時に、一定のお金を国、自治体が出すことで保証している。
一方、第2種については、もう少し責任が軽いとみなされている。
在宅介護、在宅医療、在宅、すみなれたとこで、、、ってのがうるさくいわれるにもかかわらず、そこまでも重要と見られていなくて、穴空いてご本人たちが困っても知らんぷり。
じゃあ、施設に行けばいいやん。って言われそうだが、施設、病院で安心安楽な介護、医療があるかといえば、否、、、、、
最も早い解決の方法は、在宅を推し進めるのなら、国がしっかりお金を出すことだ。事業所が毎月支払い時期に冷や汗をかかなくていいように、最低賃金レベルではなく、従業者が心のゆとりが持てるくらいに賃金をするべきなのだ。福祉現場で働き続けられる環境とゆとりを作れるだけの予算措置すべきなのだ。
そうすれば、介護を一生の仕事にしたいという人が出てくるはずだ。
アベノミクスで経済対策をと言ってるが、建設だけでなく、介護の現場にどーんと出せば雇用が生まれ、業界が賑わい、より質の高いケアが生まれ、 障害と共にある人たちが当たり前に、普通の生活ができるようになろのではないか。
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