障がい者は不幸ではない。 ほんとう?
投稿日: 2014年2月7日,カテゴリー: ホームヘルパー
しばらくあいてしまいました。
書くべきものがなかったのではなく、材料がありすぎてついて行けてなかった次第で、、、、
この間、幾つかのフォーラムや研修に参加したり、フェイスブックでやりとりをしたり、また最近には珍しくまとめて本を読んで見たりして、様々なことが頭の中でぐるぐる回っていました。
年末からこの1月ほどの間、私の周りの人たちの中では、千葉県袖ケ浦市の知的障がい児者入所施設における暴行殺人事件(一般には虐待死事件と言われてますが、私は殺人事件と考えてます)はかなりの衝撃を与えられたものでありますし、何度もニュース報道もありましたので、当然、この業界のことを勉強していたり、働いていたりする方は程度の差はあっても、「大変な事件がありましたね」といえば、すぐわかると思っていましたが、幾つかの場でなげかけてみても、予想した反応は帰ってきませんでした。知らないのです。絶対この間に耳にし、目にしているはずなのに。
心に残っていないのです。
衝撃を受けていないのです。
事件そのものも衝撃でしたが、みんなが知らないということの方が衝撃でした。
本当に障がいとともにある方のことは、遠いところのことなのです。
全く関係していない場の人たちではないのにです。
なんということでしょうーーー。なのです。
芸能人の離婚や結婚なんてことの方が身近なんです。
その後に、障がい者のグループホーム、ケアホームの建設反対の市民の運動があちこちで起きているとの報道がされました。
まーぶるは、障がい者が地域の中にいて、難病患者も地域にいて当たり前なのだ。いろんな人が居るのが地域なんだ。ということを世の中に知らしめたいと思っている。そう思うのは、みなさん知らないよね。自分とは関係ないと思ってるよね。という認識があるからなのであるが、それにしても、、、、、である。
障がい者は「不自由だけど不幸ではありません」という。それは個人の感じ方でもあるので、間違ってると言ってしまうのはダメなのかもしれないが、不幸じゃない と思えない。これだけ存在が無視され、世の中で排斥され、差別されているのだ。
わずかばかりの年金をもらったり、生きて行くために介護を受けたりすることを、うらやまれたり、「俺たちの税金使いやがって」と非難されたりする。生まれてくることを拒否され、生まれてきて「居る」のにもかかわらず否定され、目の前からいなくなってくれ。と言われるのである。
これが不幸でないはずがない。
不幸だ=憐れみの対象ではない。
正当な人として、命の権利の主張をしなければならない。
周囲にいる私たち(つまり気づいたもの達)がしっかり大きな声を出して、不当である。差別である。今の状態はおかしい。と言っていかなくてはならない。
そして、当事者たちも、差別するな。今の自分たちの置かれた状況は不幸だ!と叫んでもらいたい。
障がい者は不幸ではない。 ほんとう?:関連ページ