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まーぶるコラム 第3回

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厳しい寒さの冬から、少しずつ暖かさを感じられるようになりましたね。真っ白な雪から、ピンクでかわいらしい梅や桜の季節になりました。中には、花粉症で苦しい春を送られている方もおられるかもしれませんが…。

さて。春と言えば、卒業式も終り入学式や入社式、進級など新しい環境に変わる時期ですね。新しい環境に入る人もいれば、新しく入る人を迎える人も。いろいろな立場で「新しさ」を迎える時期になっていますね。

そこで、今回のテーマは…障がいのある方と学校をテーマに考えていきたいと思います。

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その昔…就学猶予・就学免除という制度がありました。本来、教育とはその人の「能力」に応じて「等しく」教育が受けられるはずですが、1980年後半には就学猶予規定によって疾病や貧困の人は就学が猶予(遅らせる)するということがありました。

そして、1990年代に入ると就学猶予の中に病弱・発育不全・貧困が入り、免除対象の規定もされていたのです。

この制度によって、学校へ行かなくてもいい人が出てきました。…と書くといい制度のように聞こえるかもしれませんが、実際は「学校へ行きたくても行かせてもらえない」と書いた方がいいのかもしれませんね。

そんな時代から、現在では「養護学校」という名前から「特別支援学校」という名称へ変更され、地域の学校にも「育成学級」や「特別支援学級」なども作られてきています。

そして、「インクルージョン教育」や「インクルーシブ教育」なんて言葉も出てきています。こうやって、カタカナで書かれると難しい言葉のように思えて中には「いや」なんて拒否してしまう方もおられるかもしれませんが、訳してみると…インクルージョンとは「包括、包含」。インクルーシブとは「包含した、含んだ」という意味になります。

学校を分けて、特別な配慮が必要な人をかためてしまうのではなく。かといって、単に同じ場所に入れて同じ教育を行うのでもなく。特別な配慮が必要な人たちに対して、必要に応じた教育を行う。それが、たとえば車椅子利用している方ならスロープの設置であったり、聴覚障がいのある方なら手話通訳や、要約筆記などの配慮になりますね。

今は、「障がい」と言ってもとても幅広く、車いすを利用している人や、白杖を持っている人など目でみてわかるものだけでなく、算数がどんなに工夫して頑張ってもできない。とか、人との関わりがうまくいかない。なんて方もおられます。

障がいの定義が広がるにつれ、学校内におられる何らかの障がいがある人も増え、中には少し関わり方などを工夫すればみんなと同じ教室で授業を受けることが可能な人もいます。

個人に合った計画を立て、それを実践していくって、教育も福祉もよく似ていますよね。みんな一緒ではないからこそ、それぞれに合ったものが必要になるんですね。そうやって、一人一人のことを考えられるようになっていきたいですね。

 

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さて。今回は、教育と個別性です。今回このテーマを選んだ理由は「4月と言えば…」という私の勝手なイメージで、「春→桜→入学式!」という連想をしたことが一つ。

そして、もう一つ。仕事以外で障がいのある方とお話する機会があり、その時にその方の学生時代のお話を聞かせていただいたということが大きな理由でした。

今回お話させていただいた方は、就学猶予・免除制度によって、普通校で勉強することができず、高校を6年、大学を8年かけて無事卒業されたとのことでした。

私の通っていた大学には、さまざまな障がいのある方がいました。友人の中にも、車いすを利用して学校へ来ている人や、聴覚障がいで要約筆記を利用しながら授業を受け、今では教員をしている人、病気が進行したため途中で中退してしまった人もいます。

もちろん、学内で白杖をもって歩いている人もいましたし、補聴器をつければ会話ができるため、話していても言われるまで全く気付かないくらいの人も。

そんな、障がいがある人も、ない人も一緒に勉強し、要約筆記のアルバイトを学生の間で募集して、学生が学生の授業のサポートをする。そんなところで勉強をしてきました。私自身、要約筆記のアルバイトをしていましたが、とても大変だった記憶と、その中で要約筆記を利用している人から、手話を教えてもらったり、当事者としての話を教えてもらったり、とてもいい経験をさせてもらったと思っています。

現在でも、就学猶予の制度は存在しています。学校教育法上は「教育委員会が文部科学省の定めによって、保護者に対して行う」ものとされています。これは、保護者に課せられている「教育を受けさせる義務」へのものであるととらえられます。

さて。ここで、難しい制度の話は置いておいて…。みなさんは、学校で障がいのある方と一緒に勉強したり、一緒に過ごしたことはあるでしょうか。

そういう子どもたちが同じクラスにいることで「授業の進行が妨げられる」なんていう意見も聞いたことがありますが、子ども同士を見てみると、助け合って生活していく場面や、工夫した関わりなど子どもさんの違う一面が見れたりもします。

単に、学校を「科目を勉強する場」としてとらえた場合、障がいのある子どもたちとの関わりは、もしかしたら不要なものかもしれません。

しかし、学校とは教育を受ける場であります。教育とは「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。(教育基本法第1条より)」となっています。

法律って、とても難しい言葉で書かれてますよね。こんなことは覚えなくて大丈夫です。条文なんて知らなくてもいいんです。ただ、1つわかっていただきたいことは、教育とは「科目の勉強だけでない」ということです。学校とは集団生活です。その中で、人との関わりや社会のルールを覚えていくのです。この「人」の中には、男の子や女の子、障がいのある子やない子、先生、中にはボランティアや教育実習生も含まれるかもしれませんね。

年齢も性別も違う人と生活する中で、それぞれの「違い」が見えるようになります。その違いが見えるようになったときの関わりってとても大事だと思いませんか?

その違いを見て「いじめ」に発展する場合もあります。でも、その違いを発見して「個性」という風に見れる人がたくさんいたら…とっても素敵な話だと思いませんか?

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みなさん。小学校の時を思い出してください。

人との関わりもですが、国語か道徳で金子みすずさんの「私と小鳥とすずと」という詩を読んだことはないでしょうか。とっても有名な詩で、今でも教科書で利用されているのではないでしょうか。

あの詩を思い出してみてください…。
「みんなちがって、みんないい。」んですよね。それぞれ、個性があって、見た目も性格も、考え方も違う。その、違いを認めた上での関わり…福祉の中では「ノーマライゼーション」というのが近い考えかもしれませんね。

障がいのある人もない人も、共に住みなれた地域で生活していくことこそノーマルであるというような考え方になります。

障がいのある人も、ない人も、男も女も、高齢者も児童も、国籍が違う人も、言語が違う人も、共に生活していける社会。さまざまな形で社会参加していける社会になれればいいですね。

文責:大橋奈緒子