まーぶるコラム 第8回
さて。今回のテーマは、「バリアフリー」です。この言葉は、もうみなさんの身近な言葉になっているのではないでしょうか。障壁(バリア)のない(フリー)社会・地域を目指す物として数年前からとても有名な言葉となりました。
フラットな床、段差の少ない入口等。もう一般的にかつ、日常的に使われる言葉の一つとなっているのかもしれませんね。だからこそ、今回は改めて考える機会になればと思い、テーマにしました。みなさん、一緒に考えてみてください。
「バリアフリー」という言葉を聞いて、どんな物が思い浮かびますか?スーパーの床や、多目的トイレ、床の低いバスや、バリアフリー住宅など、たくさんの物を思いつくでしょう。
国土交通省が出しているデータでは、平成23年3月の時点で低床バスは52.3%と約半数が適合していますが、その内ノンステップバスは29.9%。さらに、リフト付バスについては、1.6%とまだまだ少ない数字です。
では、バリアフリーとは物だけでしょうか。「こころのバリアフリー」「情報のバリアフリー」なんて言葉を聞いたことはないですか?
人が生活する中で、障壁(バリア)は物だけではないということです。たとえば、聴覚障がいのある方や、ご高齢で耳が聞こえにくくなった方にテレビやラジオで情報を得ることはなかなか難しいことです。テレビであれば、字幕付きの放送や手話付きのニュース等で工夫されていますよね。これは、情報を得るために生じるバリアに対して、工夫された結果だと思います。
それでは、こころのバリアフリーについて考えていきたいと思います。先ほど、バスのデータをあげましたので、バスを利用して外出されるという想定で一緒に考えていきましょう。
車いすに乗ったAさんは、今日は天気もいいし新しい洋服を買物に行きたいと考えていました。しかし、近くのスーパーには食料品や日用品しかないため、少し離れた大きなショッピングモールへ行きたいと考えています。
歩いて行こうと思うと、1時間近くかかってしまうため、今日はバスに乗っての外出にすることになりました。
自宅を出て、整備されたきれいな道を通って、バス停へ向かいます。バス停には、数人の人が同じくバスを待っていました。
しばらく待っていると、乗りたいバスが来ました。一緒に待っていたお客さんは2段ほどある階段を上り、バスに乗車していきますがAさんは階段があるために、次のバスを待つことにしました。
そこから、さらにしばらく待っていると次のバスが来ました。車いすのマークがついた、ノンステップバスでした。Aさんは、バスの運転手さんにお願いしてそのバスに乗り込むことができました。今まで座席に座っていた人は、運転手さんに声をかけられしぶしぶ座席を移動します。そして、バスの運転手さんに、車いすを固定してもらい出発です。
自分でバランスをとることが難しいAさんは、外出時には胸のあたりにベルトをつけて車いすからこけないようにしています。しかし、もちろんベルトにも限界はあります。急ブレーキをかけられれば前へ、急カーブがあれば左右へ転倒する危険があります。今日は、安全運転な運転手さんだったため、とっても安心して乗っていられました。
そして、目的のショッピングモール前へ到着。バスから降ろしてもらい、買物へ。いろいろな服があり、悩みます。少し高いところに、気になる服を見つけて手を伸ばしますが、車いすに座った状態では届きそうにありません。仕方なく、その服は諦めて帰ることにしました。
さて。この文章の中にはいくつかのバリアを作ってみました。みなさんいくつ発見できましたか?
「こうすればAさんは困らなかったんじゃないかな。」と思うところはありませんでしたか?
バスの段差があっても、力持ちの人が何人かいれば抱えて乗れたんじゃないか。とか、しぶしぶどかなくてもいいじゃない。とか。手が届きそうになければ、誰かが声をかけて取ってあげたらいいのに。とか。
あるいは、道が整備されてなかったらどうなってたのかな?やバスの運転手さんの運転が荒かったらどうなってたんだろう。なんて考えてくださる方もおられるかもしれませんね。
「障がいのある人にどう関わればいいかわからない」なんて言葉を時々聞いたりしますが、街中で目にした時に「何か」困ってそうであれば、その「何か」を聞いて必要であれば手伝ってくださればいいのだと思います。
段差が上れず困っていたら、その段差を越えるためのお手伝いを。時計が見えなければ、時間を教えて。アナウンスが聞こえなければ、適当な紙に書いて。
言葉で伝えられなくても、表情等で伝えてくださる人もいます。最初は、何を訴えているのかわからず手あたり次第やってみて、ようやく安心した顔をされて、こちらも安心できるなんてこともあります。 心のバリアとは、差別的なこともありますが、そこに存在するにも関わらず「無関心」でいるということもあるのではないかな。と思います。
かといって、過度にやってしまうこともあまりよくないことで。みなさん親に「どこいくの。何時に帰ってくるのよ。」なんて、口うるさく言われて「うるさい!」なんて反抗した経験が一度はおありなのではないでしょうか。
自分の中では、夕飯までに帰ってくるように時間を計算して友達と約束をしていたのに、それをいつまでたっても言われ続け。心配されていることを分かっているけれど…。という気持ちになったことはありませんか?
障がいのある人も、その人のペースというものをお持ちです。そして、その人には能力もあります。それを、良かれと思ってやりすぎてしまうと、本来その人が持っている力を奪ってしまうことになりかねません。
何事も、適当に。ほどほどにということでしょうか。
文責:大橋奈緒子